島とともに生きる素直な宿。
──梅木屋

国生みの島としての歴史文化に加え、豊かな自然と食に恵まれた淡路島に、ちょうど良い心地よさを感じされる宿「梅木屋」はある。

淡路島中部西岸の五色町都志にある宿、梅木屋。2012年、東京からこの島に移住した北川太一郎さんが、妻の文乃さんとともに運営している個室が5つだけの小さな宿だ。

「僕は宿屋をやるつもりで淡路島に来ましたが、はじめは知り合いもいないし、土地の知識もありません。ここで農業に従事しながら、人々と交流していくなかで島のことを徐々に理解し、淡路島、そして自分にとってほど良いかたちの宿はなんだろうとゆっくり考えていきました」

元旅館を借り受け、梅木屋を始めたのは、北川さんが移住して7年後の2019年末。準備には時間を有したものの、その間に得たネットワークでリノベーションは有志とともに自分たちで行ったという。

島特有の豊かな食文化が島内の各所で楽しめ、温泉施設も豊富なことから、梅木屋の宿泊は素泊まりが基本。地元に根付いた生きた情報を梅木屋で聞きながら、島の時間を満喫。地元食材を購入して自炊したい人には、北川さんたちが使う大きなキッチンを共有してくれ、必要とあらば、料理上手な文乃さんが調理のサポートもしてくれる。

「もっといろんなサービスがここで提供できればとも思いますが、何しろ従業員は僕たち2人だけ。満足していただける内容をこなすには限界もありますから、そこは島の力を最大限に借りています。各所でお客さんが『梅木屋で聞いてきた』とおっしゃってくれるので、島の人たちとのコミュニケーションも密に。僕たちだけでなく、ここを訪れる方、迎え入れる人々、すべてが一緒になって状況をつくっているような気がしています」

近年、淡路島北部では開発も進み、さまざまな新しい施設が誕生しているが、梅木屋がある中部以南のエリアには、豊かな田園が広がり、ゆったりとした時間が流れる。

「観光が発展して宿が大きくなることよりも、どこか完成されていない隙間のようなものがあって、それを人と人の心地よいつながりで補っていければそれで良い。僕たちの子どもは、この島で生まれて、今年で4歳。僕たちがここで楽しく働いている姿を見ていれば、彼が大人になったときに『ここで育ってよかった』と思ってくれるはず。それが梅木屋にとっても、淡路島にとっても、幸せなかたちなんじゃないでしょうか」

この宿の魅力のもとは、北川さんたちの朗らかさと素直さ。自分たちの成長と日々の変化に合わせ、無理のない普遍的な時間が流れているからこそ、梅木屋はほど良い居心地の良さがあるのだろう。

心の通う場のつくり方。
──倉敷国際ホテル

目まぐるしく変化する観光ビジネスのなかで、開館当初の姿のまま、しかし決して古びることなく佇む岡山の倉敷国際ホテル。建築、しつらえ、もてなしの裏にある創業の理念とは。

運河沿いに白壁の蔵屋敷が並ぶ倉敷美観地区。最大の観光名所でもある大原美術館の真裏にある倉敷国際ホテルが完成したのは、1963年のこと。半世紀以上前に完成した施設ながら、倉敷らしい上品で洗練され空気と温もりのある居心地の良さで、変わらず愛され、リピーターが多いホテルとしても知られている。

このホテルの創業者は、倉敷のまちづくりに大きく貢献した大原孫三郎の長男、聰一郎。「倉敷にふさわしい近代的な都市型宿泊施設」を建設するにあたり相談をもちかけたのが、同じ年に生まれ、自身が経営する倉敷レーヨン(現在のクラレ)で関連施設の多くの設計を担当していた建築家の浦辺鎮太郎だった。

浦辺が總一郎と初代支配人の有森照彦とともに思考を巡らせたのは、いかに倉敷の美しい街並みに自然に溶け込む近代的なホテルのあり方だった。これを実現させるために、浦辺は街に対して圧迫感を与えないように、建物のファサード中央部を奥にセットバックしたコの字形に決定。さらに、外壁に微妙に角度をもたせながら淡いツートーンに塗り分けることで、周りを囲む白壁+瓦屋根の屋敷との相性の良い外観を完成させた。

館内各所に置かれたアートや工芸の数々も、来館者の気持ちを高揚させつつ、落ち着いた雰囲気をつくりだすための重要なファクターとなっている。ロビーから上階に空間が広がる吹き抜けには、總一郎の旧知の仲であり、世界に名を轟かせる版画家、棟方志功の作品『大世界の柵〈坤〉─人類より神々へ』をシンボリックに展示。舩木研兒・伸児(けんじ・しんじ)親子による陶板のほか、陶芸、織物といった工芸作品、床や壁のタイルにも趣向を凝ったあしらいを施している。

そして、何よりもこのホテル特有の居心地の良さは、ホテルスタッフの自然なもてなしの態度にある。これは大原總一郎が創業に向けて残した以下の文章が、今もホテルスタッフの心の拠りどころとなっているからだという。

「私は質素で健全で実質的で心の通ひ感情のこもった宿が望ましいと思う。卑屈なサービスで凡人を王様扱いにて甘心を求める様な宿は精神的に不潔で面白くない。便利で住み良いと言う事は心理摩擦がないという事であって、理屈に合はないサービスの過剰は却って心の重荷となる」(1953年、計画書『”An Inn with Pub” project at Kuranshiki』に寄せられた一文を原文のまま記載)

ホテルに訪れる人は、「特別な旅人」ではなく「大切な住人」。おだやかに、豊かに過ごす時間と空間を純粋に追求してきたからこそ、このホテルを訪れた誰しもが快く受け入れられたように感じるのかもしれない。

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