ステッチが描き出す、
新たな感覚の日常。_Nutel

ミシンを使って、自由な世界を描き出すNutelの渡邊笑理。創作の裏側に広がる感覚を探る。

白い布の上に、舞うように広がるいくつもの黒い線。Nutelとして活動する渡邊笑理は、筆の代わりにミシンを使って絵を描いているアーティストだ。

生まれ育ったのは、滋賀の山あいにある、家族が経営していたシャツ縫製工場のすぐとなり。高速で針を落とすミシンの音や油の匂いには、子供の頃から慣れ親しんでいたこともあり、ごく自然で身近な存在に感じていた。

「田舎でのんびりと過ごしていた私でしたが、毎年お盆にやってくる東京の叔母だけは別格。テキスタイルデザイナーだった彼女はとてもおしゃれで、ずっと憧れていました」

中学1年生のとき、そんなおばからおみやげでテキスタイルの図案集をもらった。絵はずっと好きだったが、それが仕事になることを知った渡邊は、高校には美術部に所属し、そのまま美大のテキスタイル科に進学。学生最後の夏休みに東京に行き、叔母のテキスタイル会社の手伝いをして、卒業後、就職を決めた。

寝具からインテリア、タオルなど、さまざまなジャンルのテキスタイルデザインを経験し、ノウハウも学んだ。しかし、同時にミシンを踏む面白さをもっと自由に表現したいとも思うになった。

「最初のきっかけは、レコード店の友人からCDジャケットのデザイン依頼でした。ペンや絵の具ではない、なにか違うやり方をしてみたいと思っていたときに、まずは実家からもってきたミシンで縫ってみたんです。さらに、叔母が使っていたミシンが自由に曲線を縫うことができる“フリーモーション”だったことに気づいて、これならもっと細かく絵が描けると確信しました」

その2年後、運命的なできごとが起こる。旅で訪れたイギリスのマーケットで、ミシンで描かれた絵を見つけて、購入。帰国後、友人のレコードショップのオーナーが『これ笑理ちゃん好きそうじゃない?』と勧めてくれたCDのジャケットを開くと、そこにイギリスで買った絵と同じものがスリーブのなかに描かれていたという。

「Racheal Daddのアルバム『Summer/Autumn Recordings』でした。あまりの偶然にびっくりしちゃいました。しばらくして彼女が来日したので、是非会いたいと思っていたら、なんと彼女のライブで音楽に合わせて、私が自由に縫っていくライブソーイングのチャンスがもらえたんです。この経験がとても楽しくて、さらにのめり込んでいきました」 

これをきっかけにNutelの活動を本格的に開始。筆や手縫いよりもあっという間に線が描けるミシンは、せっかちな性分に合っているというが、素材は布と糸のみで、線もステッチに限定されることを彼女はどう感じているのだろう。

「制限によって感覚がよりクリアになりますし、自分なりの表現を深掘りしていく感じがします。針の動きは均等に見えて意外と不規則なもの。凝視してみると、ステッチの凹凸や裏表の関係もクセがあって面白いんですよ」

描くのは日常の風景がほとんど。山に登った時に道端に生えていた草花や、近所の通りで見かけたおじさん。なんでもないような景色もNutelが絵にすると、感じたことのないような不思議な感覚が広がる。

「ミシンでさっと描いた線は、単純そうに見えて意外と複雑。日常だけど非日常のような世界に入っていくような。作品をつくっていても、もう一人の自分と対話しているような感じがします」

彼女にとって、ミシンは自分の本質と向き合い、世界を理解するための媒介の一つなのかもしれない。

渡邊笑理[Eri Watanabe]

滋賀県生まれ。嵯峨美術短期大学テキスタイル科卒業後、テキスタイルデザイン会社を経て、2003年頃からミシンを使ったフリーハンドステッチで絵を描きはじめる。2021年にアトリエを東京・新富町に移転。併設のギャラリーではさまざまな企画展も行っている。Nutelは、おしゃれな外国語のように聞こえる「Nutel」は、渡邊の出身地である関西圏の方言「縫うてる」が語源。

Instagram @nutel_eri

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